「禁止すれば安心」は本当か
― SNS規制をすり抜ける子どもたちと、大人が向き合うべき現実 ―
こどもは「使えない」と言われるほど、方法を探す
「SNSは危ないから、子どもにはアカウントを作らせない」
「学校のタブレットではSNSにアクセスできないようにしている」
こうした対策は、多くの学校や家庭で取られています。
しかし現実には、それでも使っている子どもがいる。
禁止すれば終わり、というほど
この問題は単純ではありません。
管理しているはずのタブレットで起きた出来事
これは、私自身の経験です。
学校の管理下にあるタブレット端末では、
- X(旧Twitter)
- TikTok
などのSNSにはアクセスできない設定を施していました。
少なくとも、管理する側としては
「普通に使っている限りは大丈夫」
そう思っていました。
ところが、ある生徒が
SNSを“普通に見ている” ことが分かりました。
すり抜けは、特別な才能ではなかった
驚いたのは、
その生徒が「特別に詳しかった」わけではない、という点です。
- ネット上の情報
- 動画配信サービス
- YouTubeなど
を見て、
方法を学び、真似していただけ でした。
いわゆる
「裏技」
「抜け道」
と呼ばれるものは、
すでにネット上に溢れています。
※具体的な方法については、
ここではあえて触れません。
それ自体が、新たなすり抜けを生むからです。
「YouTubeは安全」という思い込み
この出来事で、強く感じたことがあります。
YouTubeを見せているから大丈夫
動画視聴だけなら問題ない
――本当にそうでしょうか。
YouTubeには、
- 便利な解説
- 学習動画
がある一方で、
- 規制回避の方法
- 年齢制限の抜け道
- アプリの裏技
も、簡単に見つかります。
SNSだけを規制しても、
そこへ至る「学びの経路」は規制できていない
という現実があります。
いたちごっこになっている現状
- 大人が制限をかける
- 子どもが抜け道を見つける
- さらに制限を強める
- さらに巧妙な方法が共有される
この繰り返しは、
もはや いたちごっこ です。
そしてこの構造は、
大人が「管理する側」、子どもが「欺く側」
という対立関係を生みます。
その結果、
- 子どもは相談しなくなる
- トラブルは水面下で起きる
- 大人が気づいたときには手遅れ
という事態につながりかねません。
問題は「すり抜け」そのものではない
ここで大切なのは、
子どもが工夫すること自体を責めることではありません。
子どもが方法を探すのは、
好奇心であり、学習であり、成長の一部です。
問題なのは、
- なぜ使いたいのか
- 何が危険なのか
- 何が起きたら相談すればいいのか
を、
一緒に学ぶ機会がないまま使ってしまうこと です。
「禁止」から「共有」へ発想を変える
完全に塞ぐことは、ほぼ不可能です。
それならば、発想を変える必要があります。
- 使わせない、ではなく
- 使い方を教える
- 大人が一緒に見る
- トラブルを前提に備える
SNSを
「触れてはいけないもの」
ではなく
「危険を理解しながら扱う道具」
として教える。
包丁や自転車と、同じ考え方です。
この「いたちごっこ」を、どう終わらせるか
この状況を良い方向へ持っていくには、
- 家庭だけ
- 学校だけ
では不十分です。
通信会社、SNS事業者、教育現場、家庭が
同じ方向を向いて設計を考える必要 があります。
- 最初から共有前提のSNS
- 段階的な利用
- 隠さなくていい環境
そうした仕組みがあって初めて、
「すり抜ける必要のないSNS利用」
が可能になるのではないでしょうか。
おわりに
子どもは、大人が思っている以上に
情報にアクセスできる時代 に生きています。
だからこそ、
- 管理できていると思い込まない
- 禁止で安心しない
- 見えないところで起きていることを想像する
ことが、大人に求められていると感じます。
この「いたちごっこ」を
対立ではなく、教育へ。
私たちは今、
その分岐点に立っているのかもしれません。

