子どものSNSは「禁止」ではなく「包丁と同じように教え、見守る」時代へ
はじめに
「SNSは危ないから、子どもには使わせない」
そう思う気持ちは、決して間違いではありません。
しかし、本当にそれで子どもを守れているでしょうか。
包丁を“触らせない子育て”は、正解でしょうか
包丁やナイフは、確かに危険な道具です。
だからといって、
- 子どもには一切触らせない
- 大人になってから初めて使わせる
という家庭は、ほとんどありません。
多くの家庭では、
- 最初は大人がそばに付き
- 危ない点を説明し
- 手の添え方、置き方を教え
- 少しずつ一人で使えるようにする
というプロセスを踏みます。
もし「危ないから」と一切触れさせず、
大人になって初めて包丁を持たせたらどうなるでしょう。
👉 使い方が分からず、かえって大きな怪我をする可能性が高い
――これは、誰もが直感的に理解できるはずです。
SNSも「現代の危険な道具」の一つ
SNSは便利です。
同時に、以下のような危険も含んでいます。
- 誹謗中傷・炎上
- 性被害・なりすまし
- フェイク情報
- 依存・過剰な承認欲求
つまりSNSは
現代社会における「刃物のような道具」 と言えます。
にもかかわらず、SNSだけは
- 禁止するか
- ある日突然、完全に自由にさせるか
という 極端な選択 がされがちです。
「教えながら、見守るSNS」という考え方
私が提案したいのは、
SNSを包丁と同じように扱う という発想です。
① 子どものSNSは「大人と共有」が前提
- 子どものアカウントでの
- 投稿
- コメント
- DM
- フォロー・閲覧内容
を すべて保護者(大人)にも同時に共有 する
👉「監視」ではなく「並走」です。
② 見ているものも一緒に見る
- どんな動画を見ているのか
- どんな言葉が飛び交っているのか
- なぜそれが面白いのか
を 大人が一緒に知る。
そこで初めて、
- これは信じていい情報?
- その言い方は相手を傷つけない?
- もし自分が言われたらどう感じる?
といった リテラシー教育 が可能になります。
③ 少しずつ「一人で使える力」を育てる
最初から完全自由ではなく、
- 投稿前に一緒に確認
- トラブル事例を一緒に学ぶ
- 危険を感じたらすぐ相談できる関係
を作りながら、
「SNSの使い方」を経験として身につける。
では「一人立ち」は何歳から?
ここで必ず出てくるのが、この問いです。
SNSを一人で使わせてよい年齢は、何歳か?
正解は一つではありません。
だからこそ、議論する価値があります。
一つの考え方(例)
- 小学生:
→ 大人完全共有・投稿制限あり - 中学生:
→ 共有継続・一部自己判断 - 高校生:
→ 原則自己管理・相談体制は維持 - 成人:
→ 完全自己責任
これはまさに 「運転免許の仮免許」 に近い考え方です。
大人になってから初めてSNSを使う人にも、実は必要なこと
実はこの問題、子どもだけではありません。
- 初めてSNSを使う高齢者
- 仕事で突然SNS運用を任された人
にも、同じことが言えます。
👉 「いきなり自由」は、最も危険
👉 本来は「仮免期間」が必要
年齢ではなく
「使い方を学んだ経験」が重要 なのです。
禁止は簡単、でも教育は残る
禁止すれば、その場は安心です。
でも、禁止は 何も残しません。
一方、
- 教え
- 見守り
- 一緒に考える
ことで、子どもは
大人になってからも使える力 を身につけます。
あなたは、何歳からが適切だと思いますか?
- 何歳から一人立ちが妥当でしょうか
- 共有はどこまで必要でしょうか
- 「監視」と「見守り」の境界はどこでしょうか
ぜひ、あなたの考えをコメントやご意見で教えてください。
SNSは、
禁止するものではなく、教え、育てるもの。
そう考える大人が増えることが、
子どもを本当に守る一歩になると、私は思います。
「教え、見守るSNS」は家庭だけでは実現できない
ここまで読んで、
理想は分かるけれど、
実際にそんなことが本当にできるの?
と思われた方も多いはずです。
結論から言えば、
家庭や学校だけでは限界があります。
この仕組みを本当に実現するためには、
通信会社・SNSプロバイダーの関与が不可欠 です。
現状の限界:保護者の努力だけに任されている
現在できる対策は、
- フィルタリング
- ペアレンタルコントロール
- スクリーンタイム管理
などが中心です。
しかし、これらは
- 見ている内容の「文脈」までは分からない
- DMやコメントの中身までは把握しにくい
- 複数SNSを横断して管理できない
という 構造的な限界 があります。
👉
「事故が起きてから気づく」
というケースが後を絶たない理由です。
本来、通信会社・SNS事業者が担える役割
もし社会として本気で
「教え、見守るSNS」 を実現するなら、
以下のような仕組みは技術的に十分可能です。
① 親子紐づけ型アカウント(ファミリーSNS)
- 子ども用アカウントは
必ず保護者アカウントと紐づけ - 投稿・DM・フォロー状況を
保護者がリアルタイムで確認可能 - 子ども側にも
「これは保護者と共有されています」と明示
👉 隠れて使わせない設計 が重要です。
② 段階的SNSライセンス制度
SNS利用を、以下のように段階化する考え方です。
- レベル1:閲覧のみ(コメント不可)
- レベル2:コメント可(投稿不可)
- レベル3:投稿可(共有あり)
- レベル4:完全自己管理
これはまさに
運転免許の仮免・本免モデル。
年齢だけでなく
理解度・経験値 を基準にできます。
③ 通信会社による「横断的見守り」
SNSごとに設定するのではなく、
- 通信会社側で
- 利用時間
- 危険ワード検知
- 急激な行動変化
を 横断的に把握 できる仕組み。
👉
SNS事業者単体では見えない
「生活全体としての異変」に気づけます。
なぜ今、実現していないのか
理由は明確です。
- 利便性が下がる
- コストがかかる
- 「監視社会」と批判されやすい
- 利用者数が減るリスクがある
つまりこれは
技術の問題ではなく、社会の選択の問題 です。
それでも「禁止」よりはるかに健全
NSを禁止すれば、
- 子どもは裏アカウントを作る
- トラブルは見えない場所で起きる
- 大人に相談しなくなる
という結果になりがちです。
一方、
- 最初から共有前提
- 大人も一緒に学ぶ
- 失敗を教育に変える
設計なら、
失敗しても致命傷になりにくい社会 が作れます。
これは家庭の問題ではなく、社会設計の問題
ここまで来ると、
もうこれは「各家庭のしつけ」の話ではありません。
- 通信会社
- SNS事業者
- 行政
- 教育現場
- 保護者
が 役割分担して初めて成立する話 です。
あなたは、どこまでを社会で支えるべきだと思いますか?
- 親だけが責任を負うべきでしょうか
- 事業者は「場を提供するだけ」で良いのでしょうか
- 子どもを守る設計を、誰が決めるべきでしょうか
この問いに正解はありません。
しかし、考え続けること自体が、子どもを守る第一歩 だと思います。

